
ネイチャーワーカーに聞く、野草とキノコをAIで判定してはいけない理由
公開日 更新日
〜セリとドクゼリは、春先の若い葉では見分けがつかない〜
生き物や植物の名前を、その場でスマートフォンに尋ねます。便利になった一方で、答えを間違えたときの代償が大きい領域もあります。食べられる野草かどうか、そのキノコを口に入れてよいかどうかは、その代表です。
ネイチャーワーカーの野島智司氏は、福岡県糸島市を拠点に自然調査や観察会を行い、大学でも教えています。その野島氏が「AIに頼るのは本当に怖い」と言い切る領域があります。
この記事では、写真には写らない情報とは何か、危険をともなうものをどう学べばよいのか、そしてAIをどの順番で使えば楽しく安全に使えるのかを伺いました。
野島智司
ネイチャーワーカー。1979年東京生まれ、大分育ち。修士(地球環境科学)。修士(教育学)。福岡県糸島市を拠点に「マイマイ計画」を主宰し、「かたつむり見習い」を名乗る。自然と人とがゆるやかにつながるフィールドワークを実践する。筑紫女学園大学非常勤講師。著書に『カタツムリの世界の描き方』(三才ブックス)、『カタツムリの謎』(誠文堂新光社)、『マイマイ計画ブック かたつむり生活入門』(Pヴァイン)、『ヒトの見ている世界 蝶の見ている世界』(青春出版社)がある。
写真に写らない匂いが、セリとドクゼリの決め手
画面の中でやりとりが完結するようになった今、あえて現場に足を運ぶ意味はどこにあるのでしょうか。野島氏の答えは、道具の性能の話ではなく、そもそもデータになっていない情報がある、というものでした。
抽象的な話に聞こえるかもしれませんが、この「言葉にできない情報」が安全を分ける場面があります。野島氏が挙げたのは、春の七草としても知られるセリと、その近くに生えるドクゼリの例でした。

問題は、姿かたちの違いが、いつでも見えるわけではないことです。
つまり、判別できる形質が出そろっていない時期の写真からは、そもそも答えが出ません。そして、写真からはいちばん確実な手がかりである匂いが抜け落ちているので、写真を見ただけでは誰にも判断ができないのです。
ただし、匂いは専門家の判断材料の1つであって、読者自身が採取・喫食してよいかの基準にはなりません。厚生労働省も、セリとドクゼリは葉の形がよく似ており外見だけでの判別は難しいとして、確信が持てない野草は採らない・食べないよう注意を呼びかけています。
五感で得る情報は、匂いだけではないといいます。
実務として押さえておきたいのは、次の点です。画像で調べるという行為は、判断材料のうち画像に写るものだけを使うという選択でもあります。写らないものが決め手になる対象では、その選択そのものが成立しません。
「AIに頼るのは本当に怖い」——判定を任せてはいけない領域
野島氏は、自身の仕事でもAIを使っています。資料を探すとき、授業のアイデアを出すときの壁打ち相手として活用していると話します。そのうえで、はっきり線を引いている領域があります。食べられるかどうかの判定です。
誇張ではありません。厚生労働省の食中毒統計によると、有毒植物の誤食による食中毒は令和5年に18件・33人、令和4年に22件・63人発生しています。

なかでもキノコについては、言葉が強くなりました。

ここで見落としやすいのが、質問の立て方そのものです。私たちが写真を撮って尋ねるとき、聞いているのはたいてい「これは何か」であり、「これは危ないか」ではありません。
名前を尋ねれば、名前が返ってきます。返ってきた名前に危険の情報が付いていなかったとしても、それは安全だという意味ではありません。聞いていないことは、答えに含まれないだけです。
では、危険をともなうものをどう学べばよいのでしょうか。野島氏の答えは、道具ではなく人から始まっていました。
- ・口に入れる可能性があるものは、写真だけで判定しない
- ・「これは何か」だけでなく「危険はあるか」を別に確かめる
- ・最初の1歩は、詳しい人と現地を歩く経験にあてる
- ・独学だけで危険な対象に踏み込まない
「わからない」と言えることの専門性

AIは、たいてい何かを答えてくれます。答えが返ってくること自体が当たり前になると、答えが出ない状態そのものが見えにくくなります。野島氏が繰り返し口にしたのは、この「わからない」の扱いでした。
| 同定とは |
|---|
| 目の前の生き物が、どの種にあたるのかを調べて決めることを同定といいます。名前を当てる作業のように見えますが、専門家の手順では「どこまで絞り込めて、どこから先は絞り込めないか」を確定させる作業でもあります。 |
そして、その「わからない」にも段階があります。名前がまだ付いていないという段階まで含まれます。
野島氏が実際にたどる手順は、直感から始まり、段階的に確からしさを上げていくものでした。

それでもはっきりしないときには、論文にあたります。そして、自分の手に負えないとわかった時点で、手放す判断もあります。
読み手が自分の現場で真似できるのは、この手順の形です。答えを1つ選ぶことではなく、いま自分がどの段階にいるのかを言葉にすること。「属まではわかるが種はわからない」と書けることが、「たぶんこれだと思う」と書くよりも、ずっと正確な情報の伝え方になります。
AIの答えがどうして外れるのか、その仕組みについては、別記事「AIはカタツムリを当てられない。かたつむり見習いに聞く画像認識の限界」で詳しく伺いました。
現場が先、AIは後という順番
野島氏が教える相手は、小学生が中心で、大学生も含まれます。子どもたちも、親のスマートフォンを借りるなどして画像認識を日常的に使っているといいます。そうした状況を前提にしたうえで、野島氏が大事にしているのは順番でした。
自分の目で見て、触れて、そのうえで疑問が出たときに道具を使います。この順番が入れ替わると、何が起きるのでしょうか。
順番が守れているなら、AIは好奇心を広げる側にまわります。野島氏が語ったのは、名前がわかった「その先」の使い方でした。
AIに期待することを尋ねると、返ってきたのは「答えをくれること」ではありませんでした。
同じことは、調べた内容を文章にして発信する場面にもあてはまります。生き物や自然について書きたい人に向けて、野島氏はこう話しました。
- ・まず現地で見る、触れる、飼ってみる
- ・そこで生まれた疑問を、具体的な言葉にする
- ・その疑問をAIに投げ、答えを自分の観察と突き合わせる
- ・食べる・触るなど体に関わる判断は、AIの答えで決めない
- ・書くときは、自分が観察した部分と調べた部分を分けて書く
AIを使うか使わないかという線引きではなく、どちらを先に置くかという順番の話でした。現場で得た手応えが先にあれば、返ってきた答えの違和感に気づけます。逆に、はじめから画面の中だけで完結させると、間違いに気づく手がかりそのものが手元に残りません。生き物の名前も、食べられるかどうかも、最後に確かめるのは自分の五感と、その道の人の経験です。AIはその手前と、その先を助ける道具として置いておきます。野島氏の話は、そう整理できます。
取材日:2026年8月19日
写真提供:野島智司氏
この記事を書いた人
編集プロダクション雨輝
2014年創業。取材・執筆、編集、校正・校閲、ファクトチェックなど、コンテンツ制作を幅広く手がける編集プロダクション。正確性と信頼性を重視し、専門家への取材や一次情報の確認を通じた、質の高い情報発信に取り組んでいる。https://amaterupro.jp/



